1: 名無しさん 2026/06/22(月) 17:18:11 シンディはいつも周りに対して、「混ぜこぜにしちゃえばいいじゃん?」と思っていたという。 そして実際にスタジオではそのようなアプローチを試していった。 プロデューサーやソングライターが考える当たり前のスタイルではなく、常に現代的でミクスチャーなサウンドを目指したのだ。 大ヒットした『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』の場合は、ロブに対してレゲエのフィーリングでコードを弾いてもらい、 一方でエリックには古いモータウンのギター・リフを弾くように頼んだ。 「とにかく私を無視して自分のパートをプして。 どんな風になるか聴いてみましょ」 突然、それまでとはまったく違って、アンセムっぽい雰囲気が出てきた。 そしてロブと一緒に書いた曲から誕生したのが、後にマイルス・デイヴィスにまでカバーされる名曲『タイム・アフター・タイム』である。 きっかけはロブの言った「思い出の詰まったスーツケース」という言葉で、そこにシンディの人生体験から導き出された物語が自然に重なり合った。 こうして、シンディとフーターズとの出会いが予期せぬ新しい化学反応をいくつも起こして、1980年代を代表する奇跡の アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル(She's So Unusual)』は完成した。 シンディ・ローパーの驚異的な快進撃はそこから始まり、復活したフーターズもまたブレイクしていった。 声を失い、バンドは崩壊…破産寸前だったシンディ・ローパーを救った運命の出会い「とにかく私を無視して自分のパートをプして」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュースシンディ・ローパーが1983年に最初のソロ・アルバムを作ったのは、フィラデルフィアの北西部のマネイアンク地区にあるスタジオだった。 フィラデルフィアのインディーズ・レーベルの社長だったレニー・ペッYahoo!ニュース…