
1: サイベリアン(大阪府) [US] 2026/04/15(水) 20:38:46 13:30 海上保安部と現場献花についての打ち合わせ 解剖結果を聞くまでの待ち時間、海上保安部の方と転覆地点での献花に関して打ち合わせを行う。 米軍基地内への立ち入りは、現状、海保から許可を通すのは難しい 辺野古漁港にはメディアがいる 海上保安庁の巡視船・ボートは波の状況を考えると難しい 今回の滞在中は見送り、もう少し時間をおいてからの方がよいかもしれない 平和丸は今日10時過ぎに協議会の敷地に移動されたので、今は平和丸を見ることはできない 辺野古で静かに平和丸を確認することができるのは、妻が朝行ったあのタイミングが最後だったと考えると、妻の行動力にも「呼ばれた気がする」にも、私は異論なんて言えない。 13:32 キャンプ・シュワブからの回答 キャンプ・シュワブから妻の携帯に連絡が入る。 「上層部に話を通したので、本日いつでもいらしてください。」 打ち合わせ中だった海上保安部の方にキャンプ・シュワブから献花の許可がおりた事を伝えると、大変驚いていたが、以後の細かい交渉は海上保安部が引き継ぐことに。 (略) 15:52 キャンプ・シュワブ到着 到着時、ビジターセンター入り口で関係者の方々が外で待機し、出迎えてくれた。 海上保安庁と米軍が調整し、私たち遺族5名と学校関係者3名(校長先生・法人事務部長・学年主任)の同行が許可された。 基地関係者の方が運転する車で移動を開始。 まず工事エリア外の岸壁へ案内された後、責任者の許可が下り、転覆現場に最も近い工事現場へ移動することができた。 16:30 桟橋に到着 平島と長島の間から、常に白波の立つリーフエッジが遠くに見えた。 知華が乗ったボートが転覆し、救出された場所。 強い風の中、長い時間をかけて献花と黙祷を捧げた。 花束は海上保安部の方に妻が依頼して用意してもらったものと、学校側が用意したものだった。 最後に基地関係者の号令で全員黙祷。 花は放置できないため持ち帰り、後で知華の元へ届けることにした。 同行したキャンプ・シュワブの方々は多くを語らないが、立ち居振る舞いには、失われた知華の命に対しての敬意が込められていた。 ご協力いただいた方々に深くお礼を伝え、ホテルに戻ることにした。 事故後からの流れ 3月18日|辺野古ボート転覆事故遺族メモnote.com…