
1: 少考さん ★ X2NFguit9 2026-03-13 09:28:42 9歳で終戦…湯川れい子さんは「戦争を体験していない」? SNSで激論…「想像力のなさ」に首をかしげた:東京新聞デジタル 2026年3月13日 06時00分 会員限定記事 X(旧ツイッター)上で2月下旬、音楽評論家で作詞家の湯川れい子さん(90)の投稿を巡り、ある議論が交わされた。9歳で終戦を迎えた湯川さんが戦争への思いをつづったところ、「戦争を体験していない」と意見され、猛反論した。「戦争」とは、爆弾や銃弾が飛び交う戦場だけを指すものなのか。戦争の影響を受けた時代を生き抜いた当事者は体験者であるはずでは。今回の議論から考えた。(山田雄之、松島京太) ◆「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません」発信きっかけに 「私が戦争を経験していない?寝ぼけたことを言わないで下さい」。湯川さんはXで2月21日夜、こう書き出し、軍人だった父が戦病死し、長兄が戦死、次兄が特攻隊にいたと紹介した上で「嫌と言うほど戦争を体験しています」と投稿した。 きっかけは、湯川さんが「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません」と記した発信に対し、「戦争を体験していないのでは」との意見が寄せられたことだった。論拠とされたのは、当時の湯川さんが8、9歳だったこと。他のX利用者からは、戦場に出向いていないことも挙げられた。 湯川さんはその後、数日にわたり、戦時中の記憶を書き連ね、フォロワーらの反応に対応した。どのような思いを抱いたのか。「こちら特報部」は3月上旬、湯川さんを訪ねた。 ◆「戦争体験は、戦場に立って銃を撃つことだけではない」 「ときどき(Xは)炎上します」と笑って迎えてくれたが、冒頭の投稿をした理由を聞くと、湯川さんは語気を強めた。「見過ごすわけにいかないじゃないですか。想像力と思いやりの無さに対して疑問と情けなさを感じました。戦争体験は、戦場に立って銃を撃つことだけではない。家族ら周りの死、生活の困窮などを含む全部です」と強調し、自身と戦争との関わりを改めて教えてくれた。 海軍だった父は中国の上海や青島で駐在武官などを長年務めた後、作戦や指揮を統括する軍令部に在籍していたという。戦況の悪化に伴い、徹夜続きの日々となり、風邪をこじらせて急性肺炎で緊急入院。わずか3日後に亡くなった。医師から病室で「薬がなくて、救えませんでした」と告げられた。 18歳上の長兄は音楽や絵画を好み、アコーディオンやピアノの演奏が上手だった。何度も延期願を出したが、大学卒業後すぐに徴兵された。戦地に赴く前の休暇に自宅に戻り、庭に数日かけて防空壕(ごう)を掘ってくれた。別れる前に抱き上げられ、一番星を眺めながら「あれが兄ちゃまだからね。覚えていてね」と話されたのが最後の言葉になった。 ◆「行くな! まだ死ぬな!」次兄は夜中にうなされて 終戦の4カ月前、フィリピンのルソン島で戦死。米軍の上陸に備え、「村を死守せよ」と命じられていたと後に聞いた。湯川さんは「遺骨は戻ってこず、現地にも探しに行きました。才能豊かで、戦争や武器を持つことが一番似合わない人だった。本当に惜しい」と首を振った。 15歳離れた次兄は海軍で、「人間爆弾」とも呼ばれた特攻兵器「桜花」の分隊長だった。終戦後しばらくして帰宅したが、夜中にうなされて「行くな! まだ死ぬな!」と叫ぶ様子を何度も見た。「多くの部下を亡くし、夢に見るほどつらい思いをしていた」と振り返る。 だが次兄は、湯川さんや母親からの「また戦争が起きたら、戦場に行かなきゃいけないじゃない」との反対を押し切り、自衛隊に入隊。その際、次兄が言った「戦争は、戦争を知っている人間しか止められない」という言葉は、現在の湯川さんの発信にも影響を与えている。 ◆初めて「戦争を体験していない」と否定され 湯川さんは山形県米沢市に疎開していた時、米軍機から逃げ惑った記憶がある。「私にとって命に関わる重大な出来事だった」。操縦士の目の色が分かるほどの距離に接近。機銃掃射を受け、塀にしがみついて隠れた「悪夢」だ。 戦争経験者として、「時代の『カナリア』でありたい」との思いを貫いてきた。炭鉱で有毒ガスの危険を察知するために飼われたカナリアのように、平和を脅かす不穏な空気を感じれば声高に訴えた。憲法9条を守る集会や反核の運動に参加し、Xでの平和を願う投稿もその表れだ。 これまでも批判的な意見を受ける... 残り 1569/3285 文字…