
1: 匿名 2026/02/21(土) 06:36:34 ID:TY1t1ylV9 4years.2026最終更新:2026/02/19 応援 - 立教大学・林田萌恵子 初のリーダー部出身女性団長「縁を大事にする人間になれた」 | 4years. #学生スポーツ立教大学の林田萌恵子(4年、立教女学院)は体育会応援団初の女性リーダー部員の一人。4年時は東京六大学応援団連盟としても初となる、リーダー部出身の女性団長となった。パイオニアとして新しい道を切り開き続けた「濃い日々」を振り返る。4years 立教大学の林田萌恵子(4年、立教女学院)は体育会応援団初の女性リーダー部員の一人。 4年時は東京六大学応援団連盟としても初となる、リーダー部出身の女性団長となった。 パイオニアとして新しい道を切り開き続けた「濃い日々」を振り返る。 ■コロナ禍を経験し「大学時代にしかできないことを」 林田にとって、もともと応援団は遠い存在ではなかった。 両親とも東京六大学に加盟する大学で、応援団の吹奏楽部に所属していたからだ。 「父からはよく『応援団はいいぞ』と聞かされてました」 東京六大学の応援団は基本的に「学ラン」を着て勇壮な応援を繰り広げる「リーダー」、心沸き立つ音色で盛り上げる「吹奏楽」、華麗な舞いで彩りを加える「チア」の3部で構成されている。 立教大学と明治大学、法政大学は「応援団」、早稲田大学と東京大学は「応援部」、慶應義塾大学は「應援指導部」と名称が異なることも一つの特徴だ。 林田は高校まで吹奏楽部だった。 8歳からテューバ、中高一貫の立教女学院ではトロンボーンを吹いていた。 この二つの背景からすると、応援団の吹奏楽部に入るのは既定路線にも見えるが、そうではなかった。 「もちろん10年間も取り組んできたことなので、楽器にも思い入れはありました。 でもコロナの影響で、本来なら一番充実していたはずの高校2、3年時がそうではなく、吹奏楽から少し気持ちが離れていたんです」 ただ、大学の体育会には入るつもりでいた。 これもコロナ禍の影響だ。 「高校で、その時にしかできない時間が失われてしまったので、大学では大学時代にしかできないことに打ち込みたかったんです。 体育会の方がサークルよりも就職に強いのでは……という考えもありました」 好きなラグビーにトレーナーかマネージャーとして携わる。 初心者でも入れる体育会の部活で、選手としてやってみる――。 林田は様々な選択肢を脳裏に浮かべながら、新歓のブースを回った。 応援団のブースにも足を運んだ。 「父親から『一度、話だけでも聞いてみたら』と言われていたんです」。 林田自身も吹奏楽から完全に離れる決心はついていなかった。 吹奏楽部の先輩から説明を受けていた時だった。 突然、脇から「リーダー部はどう?」と声をかけられた。 その方向を見ると、学ラン姿の先輩が立っていた。 当時のリーダー部は、林田の1学年上にあたる世代が0人だった。 2年連続で部員がいないと、存続に関わる。 部員確保のため、林田が入学した2022年度から女子を受け入れることを決めていた。 林田にとって、それまでリーダー部は縁遠い世界だった。 ネガティブな先入観もあった。 「ちょっと変わった人たちの集団と言うか……汗水たらして応援して、何が楽しいんだろうと思ってました」 ところが、先輩の話を聞くうちに心が動く。 決め手となったのは「応援団は全員がスタメンだし、リーダー部に入れば先駆者になれるよ」という言葉だった。 「消去法でリーダー部を選んだところもあります。 運動部は自分のイメージと違った。 楽器演奏は社会人になってからもできるのに対し、リーダーはまさに大学時代にしかできない。 それにリーダー部なら、体を動かすこともできる」 かくして林田は、その日のうちにリーダー部の一員となった。 同期の4人とともに、学ランに身を包む日々が幕を開けた。 学ラン姿で通学するようになり、高校までとは生活が一変した。 ただ、先輩から厳しい指導をされても、1年時はつらいと感じなかったと振り返る。 「毎日、本当に楽しかったです。 自分の中のリミッターが外れたのか、(世間からすると)かなり変わったことをしている自分が面白かったです。 もちろん、きついことはあって、ミスをすれば強い口調で叱られますが、ただただ全力でやれば認めてもらえるのが、励みになりました」 ところが2年生になると、一気にしんどさを感じるようになった。 「応援団をやめたいと思ったことはないものの、この場から逃げたいと思ったことは何度もありました。 一番多かったのが2年生の時でした」 大きな要因は、1学年上に先輩がいなかったことにある。 通常は2、3年時、幹部となる最終学年に向けて修練を積む。 だが、林田たちは3年生になった時に最上級生となる。 そのため2年目の1年間で、多くの引き継ぎを受けなければならなかった。 自分のことだけを考えていれば良かった1年時とは大きく立場が変わり、幹部からの要求や乗り越えなければならないハードルが高くなった。 「2年生の時は(4年生幹部の)顔を見るのも嫌でしたね」。 林田は苦笑交じりに明かす。 ※以下引用先で…