奈良を「武士ではなく興福寺の力が強かった地域」と紹介する韓国語の投稿が話題になった。コメント欄では寺の役割を考える声と、奈良の鹿をめぐる冗談が並んだ。 引用・翻訳元:RULIWEB 【スレ主】奈良県はかつて大和と呼ばれた。飛鳥・奈良時代には都があったが、平安時代に都が京都へ移った後も、武士がこの地域を治めたことは一度もなかったという。 ほかの地域では武士が守護や大名となって支配した。しかし大和国では仏教勢力が強く、鎌倉・室町の両幕府は守護職を置けず、興福寺が大和を治めた。興福寺には大名家の跡継ぎになれなかった次男や三男が集まった。地方の武士が威張らないよう、本家と協力して彼らを僧にし、二、三代を経て興福寺の勢力へ取り込んだ。 全国から人質も集まっていたため、戦国時代にも大きな戦乱を免れたという。南北朝時代には北朝の京都と南朝の吉野の間に奈良があったが、戦場にもならなかったそうだ。 韓国人の反応 韓国人の反応 鹿。 韓国人の反応 日本のバチカンみたいな場所だったんだね。 韓国人の反応 やっぱり鹿だ。 韓国人の反応 鹿には気をつけて。お辞儀をする鹿にだけ鹿せんべいをあげるんだ。 韓国人の反応 鹿が守ったんだな。 韓国人の反応 さすが鹿たち。 韓国人の反応 夜になると鹿が退勤して変身するのかな。 韓国人の反応 宗教法人に変わったということ? 韓国人の反応 宗教を通じて、一種の中立地帯の役割を果たしたのかな。 韓国人の反応 警告板に不満を言っている鹿なのか。 韓国人の反応 大司教区のようなものだったんだね。 韓国人の反応 跡継ぎではない子どもの相続権をなくすため、修道院へ入れるような感じかな。 韓国人の反応 鹿が抑止力だったんじゃない? 韓国人の反応 鹿の街。 韓国人の反応 日本では武士も、殺生で生計を立てたことが気になって、年を取ると仏教へかなり力を入れたのかもしれない。 韓国人の反応 京都のすぐ下なのに幕府が力を及ぼせないほどなら、どれほど気を使っていたんだろう。 参照元: RULIWEB…