「痛くない」 佐伯は何度も自分の足をさすった。 「本当に、痛くないんだ」 七十二歳の佐伯は、長年、激しい神経痛に苦しんでいた。薬を飲んでも、治療を受けても、痛みが消えることはなかった。 それが今、嘘のようになくなっている。 「こんなに楽なのは何年ぶりだろう」 佐伯の目から涙がこぼれた。 その向かいで、恵は歯を食いしばっていた。佐伯が感じていた痛みは、今、すべて恵の体に移っていた。 腰から足先まで、焼けた針を突き刺されるような痛みが走っている。 「大丈夫ですか」 佐伯が心配そうに尋ねた。 「はい。二時間だけですから」 恵は無理に笑った。 人間が他人の苦痛を引き受けられるようになって、五十年が過ぎていた。 専用の装置で神経系を接続すると、病気や傷はそのままに、痛みだけを別の人間へ移せる。接続を切れば、元の持ち主に痛みは戻る。 恵は休日を使い、無償で苦痛を引き受けるボランティアをしていた。佐伯の痛みを引き受けるのは、今日が初めてだった。 二時間後、接続が終了した。 恵の体から痛みが消え、代わりに佐伯の表情が歪んだ。 「もう終わりか……」 それでも佐伯は恵の手を握り、何度も頭を下げた。 「本当にありがとう。あなたのおかげで、久しぶりにゆっくりできたよ」 帰り道、恵は不思議な充実感に包まれていた。 たった二時間。 自分が少し我慢するだけで、あれほど苦しんでいた人が笑顔になった。誰かの役に立てたことが、素直にうれしかった。 翌週、佐伯から連絡が来た。 「もしよかったら、またお願いできませんか」 恵は迷わず承諾した。…