ニュージーランドの先住民マオリの祖先が、この島々に住みつき始めたのは、13世紀の終わりから14世紀の半ばにかけてのことです。日本でいえば、鎌倉時代の終わりから南北朝時代にあたります。最初のヨーロッパ人がこの島々を目にするのは1642年なので、その間はわずか300年ほど。人が住める大きな陸地のなかで、ニュージーランドは最後に人が住みついた場所とされています。 今日の知ってた? 🛶 ポリネシアの人々がニュージーランドに住みついたのは、13世紀の終わりから14世紀の半ば。最初の到着を1250〜1300年ごろ、本格的な定住の始まりを1320〜1350年ごろとする見方があり、元スレのタイトルは「1350年ごろ」としている。 🌋 北島のタラウェラ山が1314年ごろ(前後6年)に噴火して降らせた火山灰の層(カハロア・テフラ)より古い地層からは、人が住んでいた跡が確実には見つかっていない。 ⛵ 最初にニュージーランドを目にしたヨーロッパ人は、オランダ東インド会社のアベル・タスマン。1642年12月13日に南島の海岸を見つけたが、上陸しないまま去った。 🧭 次にヨーロッパ人が来たのは127年後の1769年10月。イギリスのジェームズ・クックが、ヨーロッパ人として初めて島々を一周し、地図にした。 背景:太平洋を東へ渡った人々の、最後の大移動 マオリの祖先は、東ポリネシアの島々から大型のカヌー(マオリ語でワカ)で海を渡ってきた人々です。言葉や考古学の手がかりからは、さらにその先祖が台湾を出て東南アジア、メラネシアを経て、太平洋の島々へ広がっていったと考えられています。 その広がり方を年代で描き直したのが、2011年に米国科学アカデミー紀要(PNAS)に載った研究です。ニュージーランドの研究機関ランドケア・リサーチの古生態学者ジャネット・ウィルムズハーストらは、太平洋の47の島から報告された1,400件以上の放射性炭素年代を、信頼できるものかどうか一つずつ洗い直しました。ハワイ大学の発表によれば、ポリネシアの人々の祖先がサモアに住みついたのは紀元前800年ごろ。そこからずっと間を置いて、タヒチのあるソシエテ諸島に人が渡ったのが1025〜1120年で、それまでの想定より4世紀も遅い年代でした。さらにその70〜265年後、ニュージーランド、ハワイ、イースター島(ラパ・ヌイ)を含む残りの島々へ、1190〜1290年の間に一気に広がったといいます。ニュージーランドは、この最後の大きな波でたどり着いた土地の一つでした。 マオリの伝承では、ニュージーランドを最初に見つけたのは探検家クペだと語られます。かつては、こうした伝承を初期のヨーロッパ人がつなぎ合わせた「クペが750年ごろに発見し、1350年ごろに大船団がハワイキ(伝承上の故郷)から一斉に移ってきた」という筋書きが語られていました。英語版ウィキペディアによれば、この筋書きは20世紀の後半から、しだいに史実ではなく神話の側に置かれるようになっています。それでも「1350年」という数字が残っているのは、各部族の系譜(ファカパパ)をさかのぼると、祖先を乗せたワカの多くが1350年ごろに着いたことになるからです。ただし、系譜は父方・母方など複数の家系を重ねてたどるため、実際より長く、古く見えやすいとも指摘されています。いまの研究者のあいだでは、移住は漂流の結果ではなく、計画して行われたものだったという見方が大勢です。また、ポリネシアの人々より前にニュージーランドに人が住んでいた証拠は見つかっていません。 日本の年表に重ねてみると、最初の到着を1280年ごろとする説なら、ちょうど元寇(1274年の文永の役、1281年の弘安の役)のころ。タラウェラ山の噴火は鎌倉幕府が倒れる1333年の少し前で、1350年は南北朝時代のさなかです。 もう少し詳しく 年代はどうやって絞り込まれたのか。放射性炭素年代の落とし穴は「何を測ったか」です。ハワイ大学の人類学者テリー・ハントは「木炭の年代は測れても、問題はその木がいつ死んだかだ。古い木や、まして流木を燃やしていたら、年代は何百年も古く出てしまう」と説明しています。逆に信頼できるのは、ネズミがかじった木の実のような試料です。ネズミ(キオレ)はポリネシアの人々と一緒に島へ渡ってきたので、かじり跡は人が来た確かなしるしになります。1999年には、そのネズミの骨が西暦100年ごろと測られたことがありましたが、のちに誤りと分かりました。新たに測り直したネズミの骨や、ネズミがかじった貝殻・木の実の殻は、ほとんどがタラウェラ山の噴火より後の年代でした。2014年に英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに載ったリチャード・ホールダウェイらの論文は、噴火の年代を木の年輪と照らし合わせる方法で1314年(前後6年)と示し、これより確実に古い人の暮らしの跡は無いと述べています。南島の北東部にあるワイラウ・バー遺跡は、年代がよく分かっている最も古い集落で、14世紀の初めごろのもの。ここを1280年ごろとする見方も根強く残っています。一方、マオリの人々のミトコンドリアDNAの多様さからは、最初の定住は1250〜1300年ごろと推定されています。 2,000人足らずで、巨鳥モアが消えた。人が来るまで、ニュージーランドには一部のコウモリを除いて陸の哺乳類がいませんでした。そのぶん、飛べない大きな鳥モアのような獲物が豊富で、移り住んだ人々はこれを盛んに狩りました。ホールダウェイらの論文によると、人の暮らせる南島東部でモアの群れが絶えるまでのあいだ、ニュージーランドの人口は2,000人を超えなかったはずで、その期間は150年に満たないといいます。人口密度は最も高いときでも1平方キロメートルあたり0.01人ほど、つまり100平方キロメートルに1人ほどでした。著者らは、大型動物の絶滅に、高い人口密度は必要ないと結論づけています。人々は森を焼き払って畑を開き、元の森のおよそ4割が失われたとされます。畑では、東ポリネシアから持ってきたクマラ(サツマイモ)やタロイモ、ヒョウタン、ヤムイモを育てました。15世紀ごろには、一部の人々が東の沖のチャタム諸島へ移り、モリオリと呼ばれる独自の文化を築いています。 タスマンは上陸しないまま去った。ブリタニカ百科事典によると、タスマンは1642年8月14日、ヘームスケルク号とゼーハーン号の2隻でバタヴィア(今のジャカルタ)を出航しました。11月24日に今のタスマニア島を見つけ、12月13日にニュージーランド南島の海岸を目にします。南島北端の湾に錨を下ろしたところで、地元のマオリ、ンガーティ・トゥーマタコーキリの人々との衝突が起き、タスマンはこの湾を「殺人者の湾」と名づけました。今のゴールデン湾です。一行は上陸しないまま海岸沿いに北へ進み、1643年1月4日に北島の北端から去りました。タスマンはこの土地を、南米の南にある「スターテン・ラント」とつながる南の大陸の一部かもしれないと考えて、同じ名前で地図に記しました。のちにオランダの地図製作者が、オランダのゼーラント州にちなんで「ノヴァ・ゼーランディア」と改め、これが今の国名ニュージーランドのもとになっています。次にヨーロッパ人が来たのは1769年のクックで、18世紀の終わりからは探検家や商人、宣教師が頻繁に訪れるようになります。イギリスとマオリの首長たちがワイタンギ条約を結んだのは、1840年2月6日のことでした。「ヨーロッパ人と出会うまで300年ほど」というのは最初の接触までの話で、ヨーロッパ人が本格的に住みつく19世紀までに数えれば、およそ500年あったことになります。 タスマンは日本にも通っていた。同じくブリタニカによると、タスマンは1632年か1633年にオランダ東インド会社に入り、1639年にはマタイス・クワスト司令官の下で「日本の東の海にある金銀島」を探す航海に加わっています。その後も日本や台湾、カンボジア、スマトラへの交易の航海を重ね、総督アントニオ・ファン・ディーメンに南の海の大探検を任されました。日本では1639年にポルトガル船の来航が禁じられ、1641年にはオランダ商館が平戸から長崎の出島へ移されています。鎖国の体制が固まっていく時期の日本に通っていた船乗りが、1642年に初めてニュージーランドを目にしたことになります。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 最初にこれを知ったのは、こんな豆知識を見たとき。「オックスフォード大学は、アステカ帝国、中国の明王朝、インカ帝国、マオリのニュージーランド定住、オスマン帝国のどれよりも古い」 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) しかもオックスフォードは、最古の大学ですらないっていうね。ヨーロッパに限っても、イタリアのボローニャ大学のほうが古い。 3. 海外の名無しさん 13世紀の時点でポリネシア人がある程度来ていたとする資料もあるし、オランダ人との接触はほんの一瞬で、植民地になるのはさらに150〜200年先の話。とはいえ、人が住みついた大きな陸地としてはニュージーランドが最後だった。ヨーロッパの探検や植民が世界中に広がる、ほんの少し前のことなんだよな。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) 島の大きさとオーストラリアからの近さを考えると、不思議な話だよな。ポリネシアの島々なんて、もっとずっと小さくて、お互いずっと離れてるのに。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) いや、オーストラリアからは全然近くないよ。ロンドンからワルシャワくらい離れてて、時速800kmの飛行機でも3時間かかる。 6. 海外の名無しさん(>>4への返信) ポリネシア人の移住って、たどり着きやすい島から順に進んで、いちばん難しい場所が最後に残った感じなんだよ。トンガやサモアのあと間があってタヒチ方面へ。そこから最後の波でニュージーランド、ラパ・ヌイ(イースター島)、ハワイ。行き先が見えないまま外洋に出てたんだから、航海術がすごすぎる。 7. 海外の名無しさん いま休暇でニュージーランドに来てる。いちばん衝撃だったのは、モアっていうとんでもなく大きな鳥がいて、マオリが来るまで天敵がいなかったせいで、わりと最近になって絶滅したって話。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) 天敵はいたんだよ。ハーストイーグル、マオリの呼び名でプーアーカイっていう巨大なワシがモアを襲ってた。人間の狩りでモアがいなくなって、獲物を失ったワシも一緒に消えた。知られている中で最大のワシだったらしい。 9. 海外の名無しさん(>>7への返信) ニュージーランドの鳥が面白いのは、人が来るまでコウモリ以外の哺乳類がいなかったから。哺乳類がいるはずの場所を鳥が埋めるように進化して、飛べない鳥がやたら多いんだ。 10. 海外の名無しさん ってことは、1300年代まではニュージーランドに人間がひとりもいなかったってこと? 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) 当時の鳥の大きさを見たら、君だってここに住みたいとは思わなかったはずだよ。うちの国の鳥、とんでもなくデカかったんだから。 12. 海外の名無しさん(>>10への返信) そう。あと300年ずれてたら、ヨーロッパの探検家がニュージーランドの「最初の住民」になってたかもしれないってことだよ。 13. 海外の名無しさん マオリの祖先はヨーロッパ人が来る前にモアを狩り尽くしたし、一部はモリオリとして東の沖のチャタム諸島に分かれて住みついた。火山の噴火も何度かあって、とくに有名なのがオークランドの港にあるランギトト島。噴火でできた地面に人の足跡が残っていて、噴火を目の当たりにした人たちが、直後に島に渡ったらしい。短い期間に見えて、実はいろんなことが起きてるんだよ。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) 毎日窓からランギトトが見える家に住んでるけど、あれがそんなに若い島で、下の火山もまだ死んでないと思うと、ちょっと怖くなる。 15. 海外の名無しさん(>>13への返信) 人口はそれほど多くなかったのに、景色をまるごと変えたのもすごい。ニュージーランドはそんなに乾いた土地じゃないのに、火を放って森の30〜40%、数百万ヘクタールを消した。そこに名前も知られないまま消えた生き物がどれだけいたかと思うとね。 16. 海外の名無しさん(>>15への返信) で、そのあとヨーロッパ人が来て同じことをやった。農地にするために森を焼いて、木材にするために切り倒した。いま残ってるのはほんの一部だけど、何十年も各地で植林が続いてて、少しずつ戻ってきてはいる。 17. 海外の名無しさん ポリネシア人のルーツをたどると、台湾に行き着くんだよね。ただし今の台湾人の多くを占める漢民族じゃなくて、もともと台湾に住んでいたオーストロネシア系の先住民のほう。 18. 海外の名無しさん ハワイも似たようなもんだよ。最初の人がたどり着いたのが1200〜1400年ごろで、ヨーロッパ人が来たのはその数百年後。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) ハワイなんて、本当に太平洋のど真ん中にポツンとあるからな。人工衛星もない時代に、よく見つけたもんだと思う。 20. 海外の名無しさん 「300年」という言い方には異議がある。1642年と1769年に出会いはあったけど、どちらもごく少人数どうしの短い接触だった。ヨーロッパ人が住みつき始めたのは1800年代に入ってからで、まとまった数になったのは1850年ごろ。マオリの到着を1300年とすれば(もっと早かったかもしれない)、それまでに500年、つまり5世紀分もの時間があったことになる。ニュージーランドでは、ヨーロッパ人が来るまでの期間を短く見せて、マオリが「タンガタ・フェヌア(土地の人々)」であることを軽く扱おうとする言い方が昔からある。ここではそれをやめておこう。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) 元の投稿は「接触」って書いてあって、植民とは言ってないよ。1350年から1642年までなら292年だ。 22. 海外の名無しさん(>>20への返信) 1642年のタスマンは上陸すらしてないし、次のクックが来るまでの127年間、ヨーロッパ人は誰も来なかった。「最初の接触」と「定住」は分けて考えないとね。 23. 海外の名無しさん マオリの祖先がオーストラリアに行かなかった理由って、分かってるの? 24. 海外の名無しさん(>>23への返信) マオリの祖先は東ポリネシア、タヒチのあたりから来たから、オーストラリアはそこからさらに1,000マイル(約1,600km)以上先。ニュージーランドを人で埋め尽くして外へ出ていく必要が生まれるほどの時間もなかった。それにポリネシア人は、持ってきた作物が育つ暖かい島を好んだけど、オーストラリアはそういう土地じゃない。もうひとつ言えば、オーストラリアにはとっくに人が住んでたしね。 25. 海外の名無しさん ニュージーランドで「古代の洞窟壁画」を見に行ったら、600年くらい前のものだと知って笑ったことがある。いまスペインに住んでるけど、近所にある立派な大聖堂が、ちょうどあの壁画と同じくらいの年齢なんだよ。 まとめ マオリの祖先がニュージーランドに住みついたのは、13世紀の終わりから14世紀の半ば。木炭やネズミの骨の年代を測り直した研究で、かつて考えられていたよりずっと新しいことが分かってきました。最初のヨーロッパ人タスマンが現れるまでは300年ほどですが、ヨーロッパ人が住みつくまでに数えれば500年ほどになります。 コメント欄は、オックスフォード大学のほうが古いという豆知識やモアの話で盛り上がる一方、「最初の接触」と「定住」を分けて考えるべきだという指摘にも多くの賛同が集まっていました。 参考資料 ハワイ大学マノア校「東ポリネシアへの移住は、これまでの想定より速く、新しかった」(2011年・英語) ネイチャー・コミュニケーションズ「きわめて人口密度の低い人々が、ニュージーランドのモアを絶滅させた」(リチャード・ホールダウェイほか)(2014年・英語) ブリタニカ百科事典「アベル・タスマン」(ヘレン・マーガレット・ウォリス)(2026年10月閲覧・英語) 英語版ウィキペディア「ニュージーランドの歴史」(2026年10月閲覧・英語) 元ソース: マオリの祖先がニュージーランドに着いたのは西暦1350年ごろで、ヨーロッパ人と接触するわずか300年ほど前だった 投稿 「ヨーロッパ人と出会うわずか300年前」マオリの祖先がニュージーランドに着いたのは元寇のころ?最初に島を見た西洋人は日本にも通っていた は みんな知ってた?【海外の反応】 に最初に表示されました。…