
1: 少考さん ★ mC51ouGN9 2026-10-10 10:26:53 差別に心削られ「もうアイヌやめるわ」 何度も手を止めつづった半生 [北海道]:朝日新聞 2026年10月10日 8時00分 大滝哲彰 原田公久枝さん=2026年10月8日午前11時59分、札幌市中央区、大滝哲彰撮影 親戚はみんなアイヌ民族だった。お母ちゃんに連れられ練習した歌も踊りも大好きだった。 でも、学校では差別を受け、親戚からもいじめられた。心が削られていった。 原田公久枝さん(58)=札幌市=。15歳のある日、お母ちゃんにこう宣言した。 「もうアイヌやめるわ」――。 その2年前、中学1年の時に「差別」と題した作文を書いた。「アイヌ」と言われ、いじめられていた。原稿用紙8枚に思いをつづった。 《私は、この作文の中で、みんなに、言いたいと思います。「みんなは、人権というものが、ほんとうに、わかっているのだろうか?」と、いうことです。》 作文は最優秀賞を受賞。新聞に取り上げられ、多くの手紙が届いた。 ただ、多くは悪意のある手紙ばかり。開封するとカミソリの刃が入っていたこともあった。だから、手紙はドラム缶に入れて燃やした。 喜んでくれるはずの親戚には「生意気だ」と言われ、疎まれた。 「一緒に踊っていたウタリ(同胞)にも親戚にも、『もう会えなくてもいいや』とさえ思った」 アイヌを「やめた」。 でも、やめたはずのアイヌは、どこにいてもついてくる。 仕事を探すため職業安定所を訪れた。「人と接する仕事がいい」と伝えると、担当者はあきれた様子で言った。 「バカなのか。アイヌは裏方の仕事をしてればいいんだよ」 パチンコ店で働いている時には、常連客から「お前アイヌだから数字読めんか」とからかわれた。 紹介されたコンビニで働き始めて1週間。ほかのパート全員が、店長に「アイヌと一緒に働けない」と迫った。自分が辞めるしかなかった。 「アイヌやめたって、いじめからも差別からも逃げられないんだ」 転機は2006年。アイヌ民族の友人を通じて「あの作文の少女に会いたい」と言う人に出会うなど、縁が広がった。 その縁で、北海道大学の授業を聴講するようになり、ついには北大アイヌ・先住民研究センターの研究員にもなった。 「ばあちゃんのことを知りたい」という思いからだった。祖母は、差別にさらされながらも、アイヌの歌や踊りを残そうと地元で「保存会」を立ち上げた人物だ。 「大変な思いをしただろうに、なしてだべかな~と思って」 北海道新聞の「朝の食卓」にエッセーを寄稿したこともある。嫌な過去を思い出し、何度もペンを止めながら、4年間で計39本を書いた。 時間をかけて「アイヌの世界」に戻ってきた。いまは「アイヌである自分と真剣に向き合う覚悟を持つしかない」と思っている。 書籍「アイヌやめるのやーめた!」を刊行 原田さんの半生をつづった書籍「アイヌやめるのやーめた!」が、札幌の出版社「寿郎社」から発売されている。 (略) ※全文はソースで…