毎朝のコーヒー、その歴史は思ったより浅いのかもしれません。飲み物としてのコーヒーが確かな記録に現れるのは15世紀、アラビア半島の南西部にあるイエメン。イスラム教の修道者たちが、夜を徹した祈りのあいだ眠気を払うために飲んでいたとされます。海外掲示板では「炒って、挽いて、お湯を注ぐなんて、よく思いついたな」という声から、「モカ」や「ジャワ」という名前の由来まで話が広がっていました。 ※注:スーフィーは、修行や瞑想を通じて神に近づこうとするイスラム教の修道者たちのこと(イスラム神秘主義)。この記事では「修道者」とも書きます。 ※注:元スレッドのタイトルは「コーヒーは1400年代のイエメンで発明された」「オランダが1600年代に苗木をジャワへ密かに持ち出すまで、イエメンが事実上独占していた」としています。ただ、百科事典やコーヒー史の資料に当たると、15世紀より前に飲まれていなかったと言い切れるわけではなく、オランダが木を手に入れた年や経路も資料によって違います。以下では、記録で確かめられることと、伝説・伝承として伝わる話を分けて紹介します。 今日の知ってた? ☕ 飲み物としてのコーヒーを確かな記録でたどれるのは、15世紀のイエメンから。スーフィー(イスラム教の修道者)たちが、夜の勤行で眠気を払うために飲んでいたとされる。それより前に飲まれていたことを示す確かな証拠は、文献にも遺跡にも見つかっていない。 🌱 植物としてのコーヒーノキ(アラビカ種)の原産地は、イエメンから見て紅海の対岸にあたるエチオピア南西部の高地とその周辺。 ⚓ 17世紀の終わりごろまで、世界のコーヒーの主な産地はイエメンで、最大の積み出し港はモカだった。発芽する種や生きた木の持ち出しは抑えられていたと伝えられ、事実上の独占状態だったとされる。 🚢 その木をよその土地で大規模に育てたのがオランダ。1658年にセイロン(現在のスリランカ)で栽培を始め、1696年にはインド南西部のマラバルからジャワ島へ苗木を送った。最初の苗は洪水などで失われ、1699年の2度目で根づいたとされる。1711年、ジャワ産のコーヒーが初めてヨーロッパへ出荷された。 🐐 「実を食べて跳ね回るヤギを見て、ヤギ飼いのカルディが発見した」という有名な話は伝説。文献に現れるのは1671年で、最初の記述ではヤギ飼いに名前もない。 🗾 日本には、江戸時代に長崎・出島のオランダ商館を通じて入ってきたといわれる(正確な時期は不明)。1804年、文人の大田南畝は飲んだ感想を「焦げくさくして味ふるに堪えず」と書き残した。 背景:エチオピアの木と、イエメンの飲み物 コーヒー豆は、コーヒーノキという木の実の種です。いま世界で広く飲まれているアラビカ種の原産地は、エチオピア南西部の高地とその周辺。アラビア半島のイエメンから見ると、紅海をはさんだ対岸のアフリカ側にあたります。 この木の実がいつから口にされていたのかは、よく分かっていません。エチオピアでは古くから、実を噛んだり、すりつぶして食べたりしていたとする説があります。ただ、炒った種を煮出して飲む、いまのコーヒーにあたる飲み物が15世紀より前にあったことを示す確かな証拠は、文献にも遺跡にも見つかっていません。 記録の上でコーヒーがはっきり姿を現すのは、15世紀のイエメンです。アデンやモカ、ザビードといった町で飲まれるようになり、15世紀の終わりごろには、スーフィーたちの集まりにすっかり根づいていました。夜を徹して祈りの言葉を唱える勤行のあいだ、眠気を払い、集中を保つのに役立ったといいます。 このあたりの事情を伝えているのが、16世紀の学者アブドゥル・カーディル・ジャズィーリーが1587年ごろにまとめた書物です。コーヒーの由来や、飲んでよいかどうかをめぐる論争を扱ったもので、コーヒーを論じた信頼できる文献としては最も古いとされています。そこに引かれた話によると、アデンの法学者ザブハーニー(1470年没)が対岸のアフリカでコーヒーを知り、アデンのスーフィーたちのあいだに広めました。日本のコーヒー関連の資料では、この人物は「ゲマレディン」の名で、1454年の出来事として紹介されています。 もっとも、これは出来事から100年以上あとに書かれた記述で、ジャズィーリーは別の人物を最初とする説も伝えています。研究者も、特定の年や人物は慎重に扱うべきだとしています。ジャズィーリー自身、コーヒーが最初に使われた時期は分からない、と書いていました。 コーヒーはその後、メッカへ、16世紀の初めにはカイロへと伝わり、ダマスカスやアレッポを経て、1550年代の半ばにはオスマン帝国の都イスタンブールに最初のコーヒーハウスができました。途中の1511年には、メッカで刺激作用を理由に飲むことが禁じられたこともあります(のちに撤回)。 ヨーロッパの人々がコーヒーを知るのは、16世紀の後半です。1570年代に中東を旅したドイツ人医師レオンハルト・ラウヴォルフは、帰国後の1582年に出した旅行記で、土地の人々が「インクのように黒い」飲み物を、朝早くから熱いまま少しずつすすっている、と書いています。胃の不調などによく効く、とも添えていました。 もう少し詳しく 「15世紀に発明された」と言い切れるのか。資料が示しているのは、「確かな記録でたどれるのが15世紀から」というところまでです。10世紀の医学者ラーズィーや、11世紀のイブン・スィーナー(アヴィセンナ)の医学書に出てくる「ブンク」(ブンクムとも)という薬物をコーヒーとみる説も、古くからあります。ただ、これは根から作るものだったとする後世の記述があり、2026年にスウェーデンのウプサラ大学の学術誌に載った論文も、薬や香料として使われた別の物質だった可能性のほうが高い、と結論しています。それより前に、誰かがどこかで種を炒って煮出していたとしても、記録には残っていない。言えるのはそこまでです。 ヤギ飼いカルディは「伝説」。コーヒーの発見といえば、「実を食べたヤギが跳ね回るのを見て、ヤギ飼いのカルディが気づいた」という話が有名です。9世紀ごろの出来事として語られますが、この話が文献に現れるのは1671年。ローマで東方の言語を教えていたファウスト・ナイロニが、コーヒーを論じた本の中で紹介したのが最初です。舞台とされる時代から800年ほどあとのことで、作り話とみられています。しかも最初の記述では、ヤギ飼い(ラクダ飼いとも)に名前がなく、舞台もエチオピアではなくアラビア半島の南部でした。「カルディ」という名前は、20世紀になってから付いたものとみられています。モカを追われた聖者オマールが、飢えのなかでこの実を見つけた、という別の発見談もありますが、こちらも伝説です。 モカ港と「事実上の独占」。イエメンのコーヒーは内陸で育てられ、紅海に面した港町モカに集められて、船で各地へ送り出されました。17世紀の終わりごろまで、世界のコーヒーの主な産地はイエメンで、モカはその最大の積み出し港。イギリス、オランダ、フランスの会社も、ここに商館を置いていました。元スレッドが「事実上の独占」と呼んでいるのは、この状態のことです。 では、なぜよその土地で育てられなかったのか。アメリカのコーヒー史家ウィリアム・ユーカーズは、1922年の著書『All About Coffee』で、アラビアの人々はこの儲かる産業がよその国に広がるのを嫌い、熱湯に浸すか、炒るかして発芽しないようにした実でなければ、国外に出すのを許さなかった、と書いています。どこまで徹底されていたのかは、はっきりしません。ただ、生きた木や発芽する種を外へ持ち出すのは難しかった、と長く伝えられてきました。 ひげに隠した7粒の豆。この決まりをくぐり抜けた話として知られるのが、インドのババ・ブーダンです。メッカ巡礼の帰りにモカで7粒の豆を手に入れ、ひげの中に隠して持ち帰り、インド南部カルナータカの丘に植えた、というもの。インドでコーヒー栽培が始まったいきさつとして広く語られていますが、これは土地に伝わる伝承です。年代も1600年ごろ、1670年、1695年と資料によってばらばらで、史料ではっきり裏づけられた話ではありません。 オランダは、いつ、どうやって木を手に入れたのか。元スレッドのタイトルは「オランダが1600年代に苗木をジャワへ密かに持ち出した」としています。大筋はそのとおりですが、細かいところは資料によって違います。 よく紹介されるのは、1616年にオランダ東インド会社の商人ピーテル・ファン・デン・ブルッケが、モカからコーヒーの木をオランダへ持ち帰った、という話です。ユーカーズも「1616年、1本のコーヒーの木がモカからオランダへ無事に運ばれた」と書いています(人名は挙げていません)。一方、オランダ王立図書館などによる史料サイトは、ファン・デン・ブルッケがモカに着いたのは1617年1月で、商館を常設する許可は得られなかった、と説明するだけで、木の話には触れていません。アメリカの全米コーヒー協会は、オランダが苗木を手に入れた時期を17世紀の後半としています。最初の1本がいつ、誰の手で運ばれたのかは、はっきりしないと見ておくのがよさそうです。 資料がおおむね一致しているのは、その先です。オランダは1658年、セイロン(現在のスリランカ)でコーヒーの栽培を始めました。続いてインド南部でも育て、1696年には、インド南西部のマラバルからジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)へ苗木を送ります。この最初の苗は洪水などで失われましたが、1699年に送り直した2度目の苗が根づきました。これらの資料に従えば、ジャワに根づいた木はイエメンから直接来たのではなく、インドを経由して届いたことになります。1706年には、ジャワで育った木がアムステルダムの植物園に届けられました。1711年、ジャワ産のコーヒーが初めてヨーロッパへ出荷され、1719年ごろには、オランダ東インド会社が「ジャワ・コーヒー」でヨーロッパの需要をまかなえるまでになります。 アムステルダムの植物園の木は、さらに遠くへ渡りました。1714年、アムステルダム市からフランス国王ルイ14世に1本の若木が贈られ、その子孫がカリブ海や中南米へ広がっていったとされています。この植物園の1本の木が、中南米のコーヒー栽培の「親」になった、と紹介されることもあります。 「モカ」と「ジャワ」は、名前として残った。こうした経緯は、いまもコーヒーの呼び名に残っています。アラビアのコーヒーは積み出し港の名から「モカ」と呼ばれ、チョコレートを加えたカフェモカの名前も、もとをたどればこの港町です。「ジャワ」のほうは、アメリカ英語でコーヒーそのものを指すくだけた言い方になりました。1990年代に登場したプログラミング言語「Java」も、このジャワ・コーヒーにちなんで名づけられています。モカの豆とジャワの豆を合わせた「モカ・ジャワ」は、昔ながらのブレンドとして知られています。 「コーヒー」という言葉そのものにも、通ってきた道が残っています。アラビア語の「カフワ」がオスマン帝国のトルコ語で「カフヴェ」になり、そこからオランダ語の koffie など、ヨーロッパ各地の言葉に入りました。日本語の「コーヒー」は、このオランダ語から入った言葉とされています。 日本には、オランダ人が持ち込んだ。日本にコーヒーを持ち込んだのもオランダ人で、正確な時期は分かっていないものの、江戸時代に長崎・出島のオランダ商館を通じて入ってきたといわれています。1804年には、長崎奉行所に勤めていた文人の大田南畝(蜀山人)が、飲んだ感想を「焦げくさくして味ふるに堪えず」と書き残しました。 海外の反応 1. 海外の名無しさん カフェで頼む「モカ」って、イエメンの港町モカから来てるんだよね。ずっとチョコレート味のことだと思い込んでたから、地名だと知ったときはけっこう驚いた。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 『白鯨』のモデルのひとつになった実在のクジラも、「モカ・ディック」って名前だったよね。チョコ風味の白いクジラを想像して、ちょっと読み返したくなった。 ※ こちらの「モカ」は、このクジラがよく現れたチリ沖のモチャ島(Mocha Island)にちなむもので、イエメンの港とは別。 3. 海外の名無しさん 考えてみれば、なかなか思いつかなかったのも無理はないよ。エチオピアの山に生えてる木の実を、早すぎず遅すぎずの時期に摘んで、種を取り出して、乾かして、焦がさないように炒って、砕いて粉にして、そこにお湯を注ぐ。工程が多すぎる。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) ヤギがコーヒーの実を食べて跳ね回ってるのを見て、ヤギ飼いが気づいたって話じゃなかったっけ。 ※ 有名な「ヤギ飼いカルディ」の話。文献に現れるのは1671年で、伝説とされる。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 仮に「この実を食べると元気が出る」と気づくところまではヤギのおかげだったとしても、そこから「種を炒って、挽いて、お湯でいれる」にたどり着くまでが遠すぎるんだよ。 6. 海外の名無しさん(>>3への返信) でも、同じくらい手間のかかるビールやふくらませたパンは、何千年も前からあるよ。コーヒーが遅かったのは難しかったからじゃなくて、たまたま誰もあの木で試さなかっただけ、という気がする。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) お茶はずっと古いし、カカオだって発酵させて炒ってすりつぶしてから飲んでたわけだしね。古い文明のすぐ近くに生えてたのに、コーヒーだけ出番が遅かったのは、確かに不思議。 8. 海外の名無しさん わざわざ「コーヒー(飲み物)」と書いてくれてありがとう。おかげで、何の話か迷わずに済んだよ。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) 一瞬、うちのチワワの「コーヒー」の話かと思った。15世紀生まれにしては元気だな、って。 10. 海外の名無しさん(>>8への返信) いや、あの断り書きにはちゃんと意味があるんだ。木そのものはエチオピア原産で、もっと前からあった。記録で追えるのが15世紀のイエメンから、というのは「炒っていれた飲み物」のほうの話だからね。 11. 海外の名無しさん 記録が残ってるのがイエメンというだけで、最初に種を炒ってお湯でいれたのが誰なのかは、結局わからないんだよね。エチオピアの誰かが先にやってたのかもしれないし、その途中のどこかの誰かだったのかもしれない。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) イエメンの修道者たちが、夜のお祈りで眠らないように飲んでたんだっけ。徹夜のおともにコーヒーって、500年以上たっても使い方がまったく変わってないな。 13. 海外の名無しさん 流れを並べるとこんな感じかな。10世紀ごろ、医学書にそれらしい記述が出てくる。15世紀の半ば、イエメンの修道者のあいだで広まる。16世紀の半ば、イスタンブールに最初のコーヒーハウス。1587年、コーヒーだけを扱った本が書かれる。17世紀、ヨーロッパじゅうに広まる。 ※ 10世紀の医学者ラーズィーらの記述がコーヒーを指すのかどうかは、別の香料とみる研究もあり、はっきりしない。 14. 海外の名無しさん ローマ帝国って、あれだけのことをコーヒーなしでやったんだよな。コーヒーもお茶もタバコもなくて、あったのはワインだけ。それで道路も水道も作ったのかと思うと、ちょっと信じられない。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) こっちは1日4杯飲まないと頭が痛くなって、メール1通も書けないのに。人類が15世紀までこれなしで暮らしてたことのほうが、よっぽど信じられないよ。 16. 海外の名無しさん(>>15への返信) それは飲んでるから頭が痛くなるんであって、最初から飲まなければ要らないんだよ。まあ、自分も3回やめようとして、3回とも1週間で戻ったけど。 17. 海外の名無しさん プログラミング言語のJavaのロゴが湯気の立つコーヒーカップなのは、そういうことだったのか。ジャワ島のコーヒーが由来ってこと? 18. 海外の名無しさん(>>17への返信) そう。昔、ヨーロッパに届くコーヒーといえばジャワ島産、という時期があって、「ジャワ」がコーヒーの呼び名として定着したんだ。言語の名前はそこから取られてる。 19. 海外の名無しさん ありがとう、オランダ。君たちがあの木を持ち出してくれなかったら、自分は今ごろまだベッドの中だ。 20. 海外の名無しさん(>>19への返信) しかもジャワで育った木がアムステルダムの植物園に送られて、その子孫が中南米に渡ったっていうんだろ。ブラジルのコーヒーも、元をたどればオランダ経由ってことになるらしい。 21. 海外の名無しさん インドにも似た話があるよ。メッカ巡礼の帰りに、ババ・ブーダンという聖者がコーヒーの豆を7粒、あごひげに隠して持ち帰ったっていう。 ※ インド南部に伝わる伝承。年代は資料によって違い、史料での裏づけははっきりしない。 22. 海外の名無しさん イエメンでは今でも、豆じゃなくて殻のほうをショウガなどのスパイスと一緒に煮出した「キシル」という飲み物が飲まれてるそうだよ。豆より安くて、体にもいいとされてるんだとか。 23. 海外の名無しさん 日本語でもコーヒーは「コーヒー」なんだけど、英語じゃなくてオランダ語の koffie から入った言葉なんだって。日本が国を閉じてた時代に、ヨーロッパで唯一取引を続けてたのがオランダだったから。ここでもオランダか。 24. 海外の名無しさん ちなみに、インスタントコーヒーの特許が取られたのは1890年のニュージーランド。飲まれ始めてから400年以上かかって、ようやく「お湯を注ぐだけ」になったわけだ。 25. 海外の名無しさん(>>24への返信) 以前は、1901年にアメリカの博覧会で粉末のコーヒーを発表した日本人科学者の加藤博士が最初、と紹介されることが多かったんだよね。あとになって、ニュージーランドの特許のほうが古いと分かった、ということらしい。 まとめ 飲み物としてのコーヒーが確かな記録に現れるのは15世紀のイエメンで、修道者たちの眠気覚ましとして広まりました。17世紀の終わりごろまではイエメンが主な産地で、その木をセイロンやジャワで育てたのがオランダです。ヤギ飼いの話や、ひげに隠した7粒の豆は伝説・伝承です。コメント欄は「よくこんな手間のかかる飲み方を思いついたな」という感心から、モカやジャワの名前の由来、コーヒーなしでは働けない暮らしぶりまで、にぎやかに脱線していました。 元ソース: コーヒー(飲み物)が発明されたのは1400年代のイエメンで、オランダが1600年代に苗木をジャワへ密かに持ち出すまで、イエメンが事実上の独占を保っていた The post 「焦げくさくして味ふるに堪えず」1804年に大田南畝が長崎で飲んだコーヒー、記録をさかのぼると15世紀イエメンの修道者の眠気覚ましに行き着くらしい appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…