
1: 征夷大将軍 ★ cXcaOOXk9 2026-10-04 11:36:34 デイリー新潮10/4 「スポーツの秋」と言われるが、「運動嫌い」の人は決して少なくないはず。そんな人たちにとっては憂鬱な季節の到来かもしれない。しかし、「運動嫌い」はそんなに悪いことなのだろうか。 *** 10月には「スポーツの日」もあって、秋はスポーツイベントが多い季節。学校行事の目玉となる「運動会」も今でこそ5月や6月に行われることも珍しくなくなったが、以前はもっぱら10月の風物詩と言えた。 こんな季節に、ついつい後ろめたい気持ちを抱きかねない「運動嫌い」の人たち。子どもの頃「運動会」の日に雨が降ることを願った人はいないだろうか。昨今では「運動嫌い」を声高に言おうものなら、“陰キャ”の烙印を押されてしまいそうである。 「運動嫌い」になる要因はさまざまだろうが、学校の「体育」の授業で嫌な思いをして運動を遠ざけてしまう人も多いように思われる。運動音痴の人間にとって、体育の授業は言うなれば地獄で、実技の試験などまさに「公開処刑」。大勢の前で恥をかかされて、運動嫌いになったという声をよく聞く。 肩身の狭い思いをしがちな「運動嫌い」だが、そんなに悪いことなのか。筑波大学体育系准教授で、『体育がきらい』(ちくまプリマー新書)の著書もある坂本拓弥氏に聞いてみた。専門は体育・スポーツ哲学である。 「たいていの方にとって運動やスポーツに触れる機会は、学校が一番多いものですよね。小学校や中学校に入るまでは運動が好きだったのに、いざ体育の授業でみんなと一緒に同じことをさせられるようになって運動が嫌いになったとか、できないことを馬鹿にされて嫌になってしまったとか……。他にも体育の教師との相性や部活での経験など、学校での体育にまつわる経験が運動嫌いにつながっているケースは確かにあると思います」 ひとつの要因として体育の“授業のあり方”にも問題があるという。 「例えば小学校の体育の学習指導要領には、陸上運動を行う、ボール運動を行うなどの内容は書いてあっても、速く走らなければならないとか、ボールを強く蹴らなければならないといったことは書かれていません。でも、実際に行われている授業でそれらが目標になってしまうのは、体育の先生の固定観念によるものだと言えます」 オリンピックにみられるように、近代スポーツは「より速く、より高く、より強く」をスローガンとしてきた。授業でもそれが重んじられたことが体育嫌いを生んできた、と坂本氏は見る。 「抽象的になりますが、私は体育とは“子どもたちのからだを豊かにすることだ”と思っています。体育の先生を目指す学生たちに私がよく言っているのは『運動の基準はもっと複雑にできる』ということ。例えば、よりゆっくり走ってみるとか、より優しくパスしてみるとかをやってみる。いわゆる運動がうまいと言われる人でも意外に難しかったりするんですよ。そのような運動の感覚にいくつもの基準を持つこと、それがからだを豊かにしていくと思います」 マラソンブームで大会に出場する人たちが増えたとはいえ、誰しもが2時間台でのゴールを目指すわけではない。仲間と一緒に走る喜び、自分のペースで走って景色の変化を味わう楽しさ、人それぞれの価値基準があるはずである。 「いろんな基準を知ると、からだへの向き合い方も変わってくる。私は、学生たちが先生になった時にそういうことを子どもたちに伝えてほしい。それがいわゆる体育嫌い、スポーツ嫌いを少しでも減らしていくことにつながるのではないかと考えています」 2017年にスポーツ庁が策定した「第2期スポーツ基本計画」において「スポーツ嫌いの中学生を半減させる」という目標を掲げたことが波紋を呼んだ。前年の調査で「スポーツ嫌い」の中学生が16.4%に及び、これを5年で半減させようとしたのだ(ちなみにこの目標は達成できなかった)。 (中略) では、「運動嫌い」になってしまった人はそのまま「嫌い」でもいいのだろうか。「スポーツの日」を迎えるに当たって「運動嫌い」の人へのアドバイスももらった。 「スポーツは別に、やりたくない人はやらないでいいし、観たくない人は観なくてもいいと思います。ただ、やっぱり自分のからだはとても大事なものです。ストレッチなどがわかりやすいと思いますが、1日たった3分でも自分でからだをほぐしたり動かしたりすれば、疲れの取れ方とか睡眠の質とかも本当に変わります。少しでも自分のからだに目を向けて、心地よい感覚を探してもらえればと思います」 ※全文は出典先で…