1: 匿名 2026/04/28(火) 22:21:36 油断した延暦寺でも、激怒した信長でもない…比叡山焼き討ちで「最も損な役回り」を強いられた戦国武将の名前NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長が比叡山を焼き討ちするよう命じる、大河ドラマの定番シーンが描かれた。信長の冷酷ぶりを表すエピソードだが、最新研究からは違った側面が見えてきたという。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) つまり信長にとっての比叡山は「宗教的権威への挑戦」でも「中世的秩序の打破」でもない。自分の警告を無視され、敵を匿われ、身内まで氏なされた。個人的な恨みの相手だった。 目的も「焼き尽くすこと」ではなかった。比叡山は北陸路と東国路が交わる軍事的要衝である。浅井・朝倉が再びここに立て籠もれないよう、拠点としての機能を完全に潰すことが目的だった。 舐められてキレた。身内を頃された。軍事拠点として邪魔だった。この3つが重なって、1571年9月12日が来たというわけである。 信長は本気だ。これは止まらない。 光秀にはそれが読めた。だから同僚たちに言って回ったはずだ。古参の重臣・柴田勝家にも、筆頭家老格の佐久間信盛にも。「上様、本気で焼きますよ」と。 *** 戦氏者の処理、逃げた者の捜索、寺領の接収、周辺住民への対応。すべてが光秀の仕事になった。そして論功行賞として、光秀は志賀郡を与えられ、坂本城の築城を許された。織田家臣団で最初期の城持ち大名という破格の待遇である。 しかし考えてみてほしい。与えられた土地は、自分が指揮した焼き討ちの現場そのものだ。坂本城の窓から毎日見えるのは、あの夜の比叡山である。 現代で言えば、自分が主導した不祥事の現場に「功績を認めたから子会社の社長にしてやる」と送り込まれたようなものだ。褒賞をもらったのか、現場に釘付けにされたのか、本人にもわからない。…